980204
sake12000
「ミクちゃん」


 目が覚めたら見知らぬ部屋にいた。見知らぬベットに、見知らぬ枕、横には見知らぬ女が裸で寝息をたてていた。

 昨日は小学校の同窓会があった。懐かしい顔のやつらと昔話や結婚話や苦労話で盛り上がり、2次会、3次会と誘われるままにはしごして酒をあびる程飲んだはずだ。記憶があるのは酔っ払ったヒコイチが、今は人妻のアユミに「小学生の時からアユチャンのこと好きだったんだ」と告白しながらせまり強力な平手をくらったところまでで、その後は覚えていない。たしかそれは4次会くらいで残っているのは7、8人くらいだったと思う。みんなかなり酔っ払っていた。(もちろんアユミも酔っていた。主婦の力をなめてはいけない。ヒコイチが心配だ)

 どこでどう皆と別れたかさえ覚えていないし、ましてやこの状況にどうしてなったかさえわからない。きっとこのアパートの一室らしき部屋は隣で寝ている裸の女の部屋だと思うし、自分も裸な状況では何をしてしまったのかもわかりきった事だった。でも女の顔にはやはり見覚えがない。同窓会で一緒だったとしたら同級生なのだろうけど、やはり見覚えがない。壁の時計をみると昼の12時だった。胸がむかつくので、脱ぎ捨てられた服の中から自分のパンツを探しだし、勝手に台所へいき水を貰う。流し台にはからっぽの酒のビンが3本あった。
 「あ、起きてたの?」ねぼけ声で女が話かけてきた。目を覚ましたようだ。
 「お、おはよう…」コップを持ったままパンツ姿の僕は朝の挨拶をする。
 「昨日は飲みすぎちゃったね」「う、うん」「喉が乾いたの? そこの冷蔵庫の中にミネラルウォーターあるわよ」「あ、あのさ…」「いいわよ、勝手に飲んでも」「その、君は、」「私? 私がどうかしたの?」「ゴメン、…誰、だっけ?」
 彼女は怒らなかった。かわりに悲しそうな顔をした。「忘れたの? 初めてのキスの相手を」
 思い出した。彼女の名前は新井ミク。小学校の同級生で僕の初めてのキスの相手だ。

 小学3、4年生の頃だったと思う。放課後の掃除で理科室の当番だった僕らの班はいつものようにホウキでふざけあっていた。その日僕はヒコイチとカンフーゴッコをしていたと思う。まじめな女子のおかげで掃除も終わり僕らの班のほとんどが帰ってしまった頃、僕の振り上げたホウキが教材のしまってある棚を直撃していくつかのフラスコを落として割ってしまった。ヒコイチは「あーあ、知らないんだー」と言って無情にも帰ってしまった。内緒で片付けてしまおうと思った僕が割れたガラスを拾い集めていると、そこに同じ班の新井ミクがやってきた。僕は先生にチクられる思った。でも何故だか、新井ミクはガラス拾いを手伝ってくれた。黙々と、だけど楽しそうに。放課後の理科室に差し込む夕焼けのせいで割れたガラスはオレンジ色に見えた。
 「ありがとう。けど先生には言うなよ」「わかってるわよ」「何で手伝ってくれたんだ?」「…」「おまえ何で残ってたんだ?」
 その後どういったやりとりがあったかは忘れた。その後の事がその頃の僕にはとても強烈すぎたのだろう。
 オレンジ色した理科室で僕は新井ミクとキスをした。カチッと歯があたった。
 その頃の僕は新井ミクの事が好きだった。キスをする前から好きだったのか、キスをしたから好きだったのかはわからない。でもそれが僕の初恋だったのは確かだ。

 初めてのキスの相手を、初恋の人を忘れるなんて、自分にちょっとあきれた。
 「思い出した?」「わ、忘れるわけないよ。その、ちょっと、いやかなり綺麗になっていたからわからなかったんだ」それも本当だった。言われてやっと新井ミクだとわかるくらいに綺麗になっていた。ただ昨日の同窓会に新井ミクが来ていたのか覚えていない。
 「信じてもらえるかわからないけど君は僕の初恋の相手だったんだよ。忘れるわけないだろ」新井ミクは嬉しそうな、恥ずかしそうな顔をした。「ありがとう。ウソでも嬉しい」「ウソなんかじゃないよ」「私もよ。私も初恋の相手はあなたなの」
 お互い初恋相手同士だったのだ。もっとも理科室でキスをした後、僕は意識的に彼女を(好きだったからこそ)避けていたから、その思いはお互い伝えられずに卒業してしまったのだが。なにはともあれこうして何十年後に初恋相手同士が同じ朝を同じベットでむかえるとは。なんと形容していいのかわからないが、気持ちが悪いものではなかった。あいかわらず胸のむかつきはあったけど。どちらもお酒のおかげというか。
 その後、昨日と同様、今度は新井ミクと昔話や近況報告なんかをした。最初のうちはぎこちなかった会話も、意味ありな同級生と意味ありな朝を向かえたという事が現実感をともなってくるにつれだんだんと(僕にとっては)楽しいものになった。今の彼女は普通のOLで、このアパートに一人暮らし。彼氏はいないらしい。僕が「もったいない」と(本心を)いうと「想っている人はいるんだけどね」と彼女はいった。でも結局昨日の夜の事はあまりふれなかった。
 しばらくして陽が沈んできたので、僕は帰る事にした。気がつくとマフラーが見当たらない。どうやら昨日の飲み屋に忘れてきたようだ。アパートのちょっと先の道まで彼女は見送ってくれた。別れ際、彼女は言った。
 「キスの後の言葉、覚えてる?」「……昨日の?」「小学生の時のよ」「あっ、ああ覚えてるよ」本当は忘れていた。思い出そうとフと考えはじめたとき、「あれは…、今もよ」と彼女は言って。
 あの日と同じオレンジ色した夕焼けの中、僕はまた新井ミクとキスをした。その唇は何故か冷たかった。
 「また会えるかな?」と僕。「きっとね」と彼女。その言葉とその時の彼女の笑顔を胸に僕は家路についた。

 アユミから電話があったのは2日後の事だった。
 「あなたのマフラー、私が持ってきちゃったみたい」
 アユミもかなり酔っ払っていたので、間違えて僕のマフラーを持って帰ってしまったそうだ。聞いてみたところヒコイチを殴ったことは覚えていないそうだ。
 「それでさ、ミクちゃんの事なんだけどさ、」「ミクちゃん?」「ホラ、同窓会に来てたろ新井ミク」「あーミクちゃんね」「彼女ってさー…」「彼女、同窓会には来てないわよ。って言うか来れないのよ。あなた知らないの?」「何を?」「ミクちゃんが死んだ事」
 1ヵ月程前のある夜に酔っ払い運転のダンプが歩道に突っ込んで、そこをたまたま自転車で走っていた新井ミクはダンプに挟まれて死んでしまったらしい。自転車がグシャグシャになる程の勢いで突っ込んできたダンプの運転手は(幸いというか)軽傷ですんだのだが、新井ミクはかなり苦しんだあげく翌日の朝には病院で息を引き取ったそうだ。
 「私知ってたんだけどね、同窓会盛り上がってたからなんか言いづらくて。どうしたの急にミクちゃんの事聞くなんて」
 受話器を握りしめたまま僕は放心した。

 そして思い出した。

 オレンジ色した理科室での初めてのキスの後、新井ミクが言った言葉を。
 「私将来あなたのお嫁さんになる。そして子供もたくさん作るの。いいでしょ?」






 追伸1:このテキストを今は亡き小学生の時の初恋相手に捧げる(ナンテナ)
 追伸2:このテキストは「酒12000」への寄稿TEXTです

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